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一色町のうなぎの歴史


history

愛知県の西尾市(旧一色町)は、三河湾に面した温暖な気候に恵まれ、古く明治37年頃から鰻の養殖が始められた。なお、平成23年4月1日に西尾市と幡豆郡3町(一色町、吉良町、幡豆町)が合併した。今日のような大規模な養鰻の産地化が飛躍的に進んだ背景は、昭和36年から矢作古川の河川水を利用するための養鰻専用水道の整備と、昭和40年代後半からのビニールハウスによる加温養殖技術の導入によるものである。  県内には西尾市(旧一色町、旧吉良町)を始め弥富市、高浜市、碧南市、豊橋市、田原市にも産地をもつ。県全体の鰻生産量は、昭和58年から平成9年までの間は連続で、平成11、12、21年にも日本一の生産量を誇っている。西尾市(旧一色町)は県内の7割以上を占めるとともに、平成21年の国内生産量22,404トンのうち6,250トンと約3割を占めている。市町村単位では、第2位の鹿児島県の志布志町や第3位の同県大崎町を大きく引き離して、西尾市(旧一色町)が昭和58年から現在まで全国第1位の生産量を誇っている。

うなぎの歴史
うなぎの歴史

ここで養殖業が大発展するきっかけになったのは、意外にも伊勢湾台風です。伊勢湾、三河湾周辺の被害が特に甚大だったが、 人と家屋以外にも低湿地の水田に壊滅的な打撃を及ぼした。一色町も、そうした地域の一つであり、これを機に町は水田事業からウナギ養殖へ基幹産業の転換を進める。 たまたま近くに、古くからの養殖先進地があったことが、それを思いつかせ、また手本にもなったとされています。

うなぎの歴史
うなぎの歴史

昭和36年から整備が始まった全国的にも珍しい河川水を利用した「養鰻専用水道」のポンプ場の整備と各養殖池までの送水管約98kmの敷設と敷設替えを行った。 養鰻水道建設のきっかけは、戦後農薬の急速な普及により養魚用水が汚染され、その対策として養鰻専用水道の敷設が幡豆養鰻漁協と幡豆地中養殖漁協とで合意され、昭和36年に工事に着手した。 国、県、町の助成を得ながら養鰻水道整備の第1期として、昭和36~41年度には事業費約1億円で5ヶ所のポンプ場と送水管約35kmを整備した。 続く第2期の昭和44~46年度には、事業費約6億6千万円で第1期に整備した5ヶ所のポンプ場を廃止し、新たに現在の古川送水ポンプ場と送水管約28kmを整備し、養鰻水道網がほぼ完成した。 その後も送水管の敷設と老朽化に伴う敷設替えを行いながら、昭和50年度に送水ポンプ3台を全て更新、平成元年度にはポンプ場に自動制御設備、中央監視装置と送水管末端に圧力モニターを設置して養鰻水道の無人化を図り、維持管理費の大幅な削減と利用料金の据え置きを実現した。 平成7年度に送水ポンプ1台をインバーター式に更新して送水圧力を安定化させ、送水管からの濾水を防ぐことで更に維持管理費を削減した。平成9年度に自動制御設備を更新し、平成14年度には自動制御盤の機能向上のための更新を行った。 この「養鰻専用水道」は、矢作古川の清浄な河川水を養鰻用水として利用することで、鰻が本来生息している天然河川により近い環境で育てることができるようになり、各養鰻業者の養殖技術の均一化と鰻の品質向上に多大な効果をもたらすこととなった。また、養鰻水道を通じて、すべての養鰻業者が繋がることで団結心が育まれ、一致団結して対処するという気風も生まれ、養鰻水道が精神的な柱になるという副次的な効果も出ている。 養鰻水道の用水は元来農業用水の余剰水を利用していることから、降雨が少ない年や時期には、用水の確保が課題となっていた。養鰻経営の安定化のためには、この課題の解決が重要と考え、平成12年4月に「養魚用水の水利使用」が愛知県知事から許可された。

地域団体商標の取得


 国内生産第1位の座を鹿児島県に奪われた平成10年代当時、一色町の鰻生産は全国有数の産地で、その品質の高さに対する知名度は養鰻業界では極めて高いものの、一般消費者には一色産うなぎの知名度は全国的に十分認知されているとは言い難い状況であった。 そこで、消費者に対する一色産うなぎの認知度向上を目的に、積極的にブランド化の対策に取り組んだ。 まず、平成17年6月に地域団体商標制度導入のための商標法が改正されたのを受けて、準備を重ねて翌年の18年10月には特許庁に対し「一色産うなぎ」で地域団体商標を出願した。同年12月にはその商標の適正使用と普及を進めるため、西尾市内(旧一色町、旧吉良町、旧西尾市)の加工流通業者と養鰻業者を会員とする「一色産うなぎブランド普及協議会」を設立した。協議会ではブランド認証シールの添付基準の制定や、パンフレット、のぼりの作成などPR活動を推進した。平成19年11月には地域団体商標として「一色産うなぎ」の名称と当協議会の「一色産うなぎ認証マーク」が特許 に商標登録され、ブランド化の大きな前進となった。 次に、平成18、19年にはキリンビールの「選ぼうニッポンのうまい!」のプレゼント・キャンペーンへの積極的な働きかけにより一色産うなぎが選定された。このキャンペーン期間中、鰻への応募者数は2ヵ年とも全国5位以内を獲得し、一般消費者に対する一色産うなぎの知名度アップに多大な効果がみられた。 また、平成21年からは地元の一色町で町の助成を得ながら「三河一色うなぎまつり」のイベントを始めるなど多彩なPR活動を行っている。 このようなブランド化と販売促進のための取組は、一色産うなぎの付加価値を高め、産地間の競争力を高めるだけでなく、地域経済の持続的な活性化にも多大な貢献をしている。

うなぎの歴史
うなぎの歴史
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