昭和34年の伊勢湾台風後、養鰻業が盛んになった愛知県西尾市一色町。 兼光淡水魚(株)の代表取締役である高須 光春は、1962年に鰻の養殖をはじめ、当時の総池面積は約4900m²の 路地池にシラスウナギを入れ、鰻の養殖をはじめた。年々養殖規模を拡大し、1972年には全国に愛知三河一色産の鰻を届けたいという思いから 兼光グループの母体である兼光淡水魚(株)を設立し、卸売業もはじめた。
さらに1973年より現在の鰻の養殖の主流であるビニールハウスでの養殖を開始。これにより、路地池より短期間で高品質な鰻を 安定供給することが可能となり、年々養殖規模を拡大し、現在では直営養鰻場、提携養鰻場を合わせると約40件、総養殖規模も約265,000m²にまでなり、安定した活鰻の供給を保持している。 会社建物のほうも16~17年間移設、増設を繰り返し、平成元年ごろ、現在の住所へ移設。今では約700m²の広さとなり、活鰻の仕入れ、流通、販売を行っている。
十分に育成した鰻は"どうまん"という道具(うなぎを入れる黒いかご)に詰められ、養鰻池から荷受けされた鰻は、トラックで兼光淡水魚(株)に運ばれ、一匹ずつ手作業で選別、仕分けします。
仕分けたうなぎの大きさ単位は「P(ピー)」で表され、何匹で1kgになるかを表します。この数字が低いほど大きい、または太い、鰻ということになります。(5Pの場合 = 5匹で1kg)
同時に「まがり」というほねの曲がったうなぎ等もこの時仕分けられます。
それぞれの大きさや規格に選別された鰻は、養鰻篭という専用の篭(カゴ)に鰻同士が密集しすぎないよう均等に入れ、きれいな井戸水の流水で1日~2日、立て込んでから出荷します。